年々減っていく年賀状🖨

高田川部屋(上)、NPB(手前)の関係者から届いた今年の年賀状

今年もまた年賀状の枚数が減った、送るほうも、もらうほうも。
と実感しているのはぼくだけでないらしく、ここ数年、ふだん一緒に仕事をしている友人知人の多くがそう話しています。

では、ぼくとそういう人たちみんなが年賀状のやり取りをしているかというと、している人もいるけれど、していない人のほうが多い。
ふだん、LINE、facebook、twitterなど、SNSでつながっているし、そちらで年末年始の挨拶を交わしている人もいるので、いまさら馬鹿丁寧に年賀状まで出さなくてもいいか、と感じてるんでしょうね。

それと、56歳という年齢上、定年退職したり、親御さんを亡くしたりする同世代の友人知人が増えてきたことも大きい。
喪中の葉書をいただいて、いったん年賀状が中断すると、翌年も出すのを失念し、そのままになってしまったりする。

日刊現代の社員記者で、それなりの肩書もついていたころは、会社上の儀礼的な意味合いもあり、毎年百数十枚の年賀状を書いていました。
それがいまでは、その半分にまではなっていないけど、3分の2ぐらいまでは減っちゃったかな。

記者や編集者の場合は、仕事でのお付き合いのあるなしによる。
一緒に仕事をしている間は年賀状も来るけれど、異動や担当替えで疎遠になると、その途端に年賀状も途絶えたり、しばらくしてから来なくなったり。

ただ、基本的に、こちらから年賀状を送らなくなるケースはあまりありません。
送っても礼状が来なくなった、という状態を2〜3年確認したら、そこで初めて住所録から削除するようにしています。

もちろん、非常に義理堅く、どんなに疎遠になろうが、逆にふだんよく会う間柄であろうが、必ず年賀状を寄越し、裏書きに一筆入れる、という人もいる。
そのほとんどが、ぼくと同世代かそれ以上の年代の方で、SNSが流行る前からの付き合いです。

ちなみに、スポーツ界やマスコミ業界以外で毎年楽しみにしているのは、高校・大学の同級生からの年賀状。
中には会わなくなって30年以上もたつ人もいるけれど、裏書きに近況を知らせる一筆が入っていると、おお、まだまだ元気でやってるんだな、とうれしくなる。

来年はまた年賀状が減るのかな。
しかし、年賀はがきも高くなったから、毎年減るぐらいがちょうどいいのかなー。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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