NHKスペシャル『全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~』(NHK総合)🤗

73分 初放送:2019年8月15日午後7時30分〜 NHK 

わが国の歴史上最大の軍事クーデター「二・二六事件」は、軍部が政権を掌握して太平洋戦争へと突き進むきっかけとなった事件である。
昭和11年(1936年)2月26日、陸軍の青年将校が約1500人の兵を率い、重要閣僚9人を殺害し、国会、警視庁、首相官邸など日本の中枢機関を4日間占拠して天皇を頂点に据えた軍事政権の樹立を訴えた。

これだけの大事件ゆえに、過去数多の研究書やノンフィクションが書かれ、映像化もされているが、事件当時の昭和天皇の言動に不明な部分が多く、いまだに全体像やディテールが掴みにくい。
そうした中、83年後の今年になって、二・二六事件の経過を細かく記した分厚い公文書6冊が発見された。

この事件に関しては長らく、反乱を起こした決起部隊と鎮圧部隊が所属していた陸軍軍法会議の公文書が最も詳しい資料とされ、ここでわかる以上の詳しい事実関係は不明とされてきた。
ところが、今回発見されたのは海軍軍令部の公文書で、富岡定俊海軍少将が所有しており、事件の発生から解決に至るまで、事態の推移が分刻みで詳述されているという。

海軍軍令部ではかねてから、決起部隊の青年将校らが影響を受けた陸軍の皇道派の動きを警戒。
秘かに陸軍内部に密偵を放ち、独自のネットワークを張り巡らせて不穏分子の動向をチェックしていたのだ。

この公文書によれば、野中四郎大尉ら決起部隊の首謀者たちは陸軍大臣官邸に押しかけ、川島義之大臣にクーデターの承認を迫り、「昭和維新の断行を約す」との回答を得る。
これに勢いを得た決起部隊は、皇道派の真崎甚三郎陸軍大将を中心とした軍事政権樹立へ邁進。

一方、昭和天皇は事件発生直後、宮中で伏見宮海軍軍令部総長に宮中で接見し、海軍の動向を尋ねている。
伏見宮は当時34歳の天皇より26歳年上の60歳で、海軍に大きな影響力を持ち、むしろ天皇家における軍部の代表と言ってもいいほどの人物だった。

その伏見宮に対し、天皇が「艦隊の青年士官は合流することなきや(海軍士官が陸軍の決起部隊に合流することはないか)」と質問すると、伏見宮は「無きよう(そういう心配はありません)言上した」と、海軍の公文書には記されている。
今回、初めて明らかになった中でも、とりわけ重要な意味を持つ言葉だ。

天皇は「(海軍)陸戦隊につき、指揮官は部下を充分握り得る人物を選任せよ」と語り、海軍に3本の大海令(最高司令部からの大本営海軍命令)を出して反乱部隊の鎮圧を命じる。
これを受けた海軍では、長門をはじめとする戦艦4隻、潜水艦9隻を擁する第1艦隊を演習中の大分沖からただちに東京の芝浦沖へ、さらに第2艦隊を鹿児島沖から大阪港へと向かわせた。

天皇と海軍は、もし反乱部隊が投降せず、徹底抗戦に出た場合、芝浦沖から彼らの立て篭もる国会を砲撃する準備まで整えていたのだ。
ここで登場した当時16歳だった元海軍陸戦隊三等兵、現在99歳の中林秀一郎がインタビューに答えて語る。

「初めて実弾を300発を渡されて、まかり間違えば陸軍の野郎どもと市街戦になるんだよ。
こんなバカなことはねえ、と思った」

続いて、当時19歳で決起部隊に参加した志水慶朗が証言する。
今年103歳とは思えないほど明瞭な口調で語られる内容が実に生々しい。

「警視庁を占領してから帝国議事堂(国会)に入った。ガラスを割って入った。そのとき、(上官に)宮城の方向に銃口を向けてはいかんと言われた。
(気がついたら)自分たちは反乱軍になっちゃってるわけです。どうして撃ち合わなきゃいけないんだろう、同じ兵隊同士がね、同じ日本の兵隊同士がね。そういう気持ちでしたね」

さらに、その決起部隊を包囲していた陸軍鎮圧部隊の兵士、当時20歳、現在103歳の矢田保久が登場。
とても100歳と超えているとは思えないツヤのある肌、張りのある声で言う。

「心理状態は戦地と同じ。撃ち合いになったらどうしたらいいか。
一発撃ったら絶対に止まらない。想像がつきますか? つかないでしょう、つかないよ」

一触即発の極限状態に置かれた10代の兵士たちが、不安と恐怖に苛まれながら銃を構え、まったく想像のつかない未来と向き合っている裏側では、秘かに皇道派と結託しようと動いている海軍軍人もいた。
皇室とも近い関係にあった元海軍中将小笠原長生が、軍需政権の樹立に協力してもらいたいと、天皇の相談相手だった伏見宮に持ちかけていたのである。

反乱部隊が抵抗を続け、第1艦隊による芝浦沖からの議事堂砲撃が刻一刻と現実を帯びる大詰めは、単なる歴史ドキュメンタリーとは思えないほどの迫力だ。
そうした中、矢牧章海軍中佐は恐るべき証言を残している。

「戦艦の大砲は4万メートルぐらい飛ぶ。
バンバン撃ったら、千代田区がなくなるぞ」

その後、この事件がどのように収束したかは、史実に残っている通り。
改めて映画化してほしいぐらいの題材だが、決起部隊の青年将校たち遺族会の許可が必要だそうだから、やはり難しいだろう。

オススメ度A。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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