BS1スペシャル『僕が性別“ゼロ”になった理由(わけ)』(NHK-BS)🤗

50分 初放送:2019年11月22日 NHK

最近、これほど衝撃的で、考えさせられ、興味深く観たドキュメンタリー番組はほかにない。
2012年10月、高校3年生だった17歳の小林空雅(たかまさ)さんが川崎市内高校定時弁論大会で、700人の聴衆にこう訴えるところから、本作は始まる。

「私は男性ですが、女性の身体を持って生まれました。
この心と身体の不一致で、幼いころから、悩んだり苦しんだりすることもありました」

この番組の製作者たちが小林さんに初めて会ったのは2010年夏、彼(彼女)がまだ15歳で川崎市幸区の御幸中学校に通っていたころ。
以後、彼(彼女)が24歳になった9年後の今年まで、カメラは小林さんの成長と変化を淡々と追い続ける。

小林さんは小学校時代から女子として扱われることに違和感を覚え、無理にスカートをはかされると泣き叫び、「オトコオンナ」と呼ばれてイジメに遭った。
自ら親に病院で診察を受けたいと訴え、性同一性障害という診断をくだされたのは中学2年生のとき。

その1年後、中学3年生になって初めて、学校に男子生徒と正式に認められた。
義務教育機関でこういう判断がくだされたのは大変珍しいケースだそうで、私も初めて知った。

このとき、小林さんは名前を出生時の花菜(かな)から空雅に改名。
いまの自分が好きですか? という製作者の問いかけに、彼(彼女)はこう答える。

「好きかって聞かれると、そうでもない気もするけど、楽しく生活はできてるから、いいんじゃないかなって。
まだ身体のこととかもあるし、そのへんは好きになれないけど、中身としては許せるかな、ぐらいですね」

いまの自分が好きですか?
この質問は、やがて小林さんが成長し、肉体や人生に様々な変化が起こった場面で、繰り返し彼(彼女)にぶつけられる。

小林さんはその後、法的に手術が可能となる18歳で乳房を切除し、20歳で卵巣と子宮を取り除いた。
カメラは手術室にまで入り、病室のベッドに横たわった小林さんの表情をクローズアップで映し出す。

小林さんはそうした手術を受けるたび、本来あるべき自分(彼=彼女はそれを「ゼロの状態」と表現する)に近づいているという実感を覚えていたらしい。
しかし、ひとりの鑑賞者の偽らざる感情として、そんな彼(彼女)の姿にどこか痛々しさを感じてしまったのも確かである。

いや、それはおれが保守的な人間だからではないか、意識の奥底にトランスジェンダーに対する偏見があるからではないか。
そう自問自答するが、もちろん自分の中にこれという答えは見出せない。

高校卒業後、小林さんは実家を出て一人暮らしを始め、レストランや居酒屋のアルバイトで生活費を稼ぎながら、夢だった声優を目指す。
母親や友人、バイト先での理解者に恵まれているようで、この健気な若者が真っ直ぐ自分の夢の実現に向かっていってほしいと願わないではいられない。

しかし、声優としてタレント事務所と契約しようとした小林さんは、そこで初めて社会の壁にぶつかる。
そして、自分でも思ってもみなかったことに、大人の男になった自分と、自分を男扱いしてくれる環境に、「ちょっと違うんじゃないか」と感じるようになる。

自分らしく生きるとは、どういうことか。
小林さんは恐らく、男か女としてごく普通に生きている人間には想像もつかないことを経験し、そのたびに自分の人生について深く考えながら生きてきたに違いない。

本作はもともと『空と、木の実と。』という84分の自主製作映画。
NHKで放送するにあたり、ごく最近追加撮影したシーンを加え、50分のドキュメンタリーとして再編集されているという。

商業映画ではないため、オリジナル版を鑑賞するのは難しそうだが、未見の方にはぜひ、本作の再放送(12月2日午前10時から)を観ることをお勧めしたい。
言葉として表現することはできなくても、人間が生きるために大切なものは何なのか、きっと感じ取ることができるはずだ。

オススメ度A。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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