フランスもアルゼンチンも強かった

後半28分、アルゼンチンSOベンハミンマリア・ウルダピジェタが逆転のペナルティーゴール!

東京スタジアムへラグビーW杯のフランスvs.アルゼンチン戦を見に行ってきました。
仕事ではなく、完全なプライベート、というより、ラグビーにはそれほど詳しくないから、野次馬根性丸出しの物見遊山か。

きょう巨人がDeNAに勝てば5年ぶりのリーグ優勝が決まることはもちろんわかっていた。
でも、ぼくは1988年シーズン途中からプロ野球の取材を始めて30年、うち巨人は前年までに12回優勝し、うち6回現場に立ち会っている。

一方、ラグビーW杯は4年に一度の国際的スポーツイベント、ぼくが生きている間は二度とないだろう日本開催、しかもこの日は〝死の組〟と呼ばれるプールCの世界ランキング7位フランスと11位アルゼンチンの激突。
本当は同じ日に横浜国際競技場で行われるプールBのニュージーランドvs.南アフリカも見たかったんだけれど、そちらはチケットが購入できず。

何度も公式サイトにアクセスしていたら、3位決定戦に続いてこのカードが取れたので、買えるチケットから買っておこうとポチッとやった。
でも、好カードとはいえ、外国同士だからな、どれほどお客さんが入るのかな、と思いながら慶応戦で調布駅まで来ると、早くも高校野球の好カードが行われる甲子園並みの人の多さ。

当然のことながら、日本人と同じくらい、いや、日本人よりもフランス人とアルゼンチン人のお客さんが目立つ。
みなさん、老若男女の別なく母国のラグビージャージ、フェイスペインティング、国旗の柄に染めたウィッグで〝完全武装〟し、大いに気合が入っている。

会場に入ると、左右両方向の電光掲示板でフランスとアルゼンチンの紹介映像を流しているほか、ルールの説明までしているところが非常に親切でしたね。
スタンドが4万4000人(主催者発表)のお客さんで9割方埋まり、午後4時を回ってキックオフが近づくと、ウエーブが起こって場内を3周。

斜め後ろの席にはアルゼンチン人のオヤジたちがいて、やおらパーカーを脱いで半裸になると国旗で身を包み、持ってきた杖で手すりや床をガンガンやりながらスペイン語で何やら絶叫。
一方、手前にはフランス人のジャージ、ウィッグ、国旗柄フェイスペインティングという若者もいて、こちらも負けじと声を張り上げる。

いよいよキックオフ、となると、電光掲示板にカウントダウンの数字が出て、スタンド中のお客さんが「スリー! ツー! ワン!」と声を張り上げた直後、定刻4時15分ちょうどに「ピイイイーーーーーーーッ‼︎」と審判のホイッスル。
こりゃあ盛り上がるよ。

前半14分にSO(スタンドオフ)ニコラス・サンチェスがペナルティーゴールを決めてアルゼンチンが先制。
ここからフランスが巻き返し、CTB(センター)ガエル・フィクー、SH(スクラムハーフ)アントワーヌ・デュポンのトライ、SOロマン・ヌタマックのコンバージョンゴールなどで20点を奪って突き放した。

前半30分過ぎから膠着状態になり、正直、このあたりはいささか退屈だった。
結局、前半が20−3で終わったときは、ワンサイドにならなきゃいいけどなあ、という不安が頭をよぎりましたね。

だって、高いお金を払ってカテゴリーAのチケットを買ったんだから。
そうしたら、後半開始間もない3分、アルゼンチンがモールからのトライをLO(ロック)のグイド・ペティが決めて反撃開始。

後半13分、HO(フッカー)フリアン・モントジャがトライを決めて20−15と追い上げるも、PR(プロップ)ナウエル・ペタスチャパロがゴールに失敗。
それでも、20分にはサンチェスに代わったSOベンハミン・ウルダピジェタがペナルティーゴールを決め、20−18と3点差に迫った。

このころにはもう、スタンド中のアルゼンチンファンが大騒ぎ。
後ろのオヤジも杖でガンガン手すりをたたきまくり、見かねた場内係員が注意していたほど。

そして後半28分、ウルダピジェタがペナルティーゴールを決めてとうとう21−20とアルゼンチンが逆転!
ついにやった!

と、ぼくも思わずバチバチ拍手をしたその1分後の後半29分、フランスのSOカミーユ・ロペスが、約25メートルもの距離から実に鮮やかなドロップゴール!
これで23−21とフランスが再逆転!

これはしびれた!
いくらおれが〝にわかファン〟でも、どんなにラグビーを知らない初心者でも、このキックのものすごさは一目でわかる。

このぎりぎりの状況、この難しい位置からあえてゴールを狙いにいった判断力。
そのゴールを成功させた精度と技術は、ほかのどのスポーツのどのようなファインプレーにも例え難い(私の表現力不足かもしれませんが)。

しかし、見せ場はまだこれで終わりではない。
フランスの2点リードで迎えた試合終了間際の後半39分、アルゼンチンはFB(フルバック)エミリアーノ・ボッフェーリが約50メートルのペナルティーゴールを狙った。

これが決まればアルゼンチンの逆転勝ちだったが、距離は十分だったものの、惜しくもゴールポストの左にそれて失敗。
ここでノーサイドとなった。

その直後、今度は両国の一部選手が激しい乱闘を始めたものだからまたびっくり。
ファウルとペナルティキックが多かった展開からして、われわれの目に見えない密集の揉み合いの中で、相当激しい〝バトル〟が展開されていたようである。

テレビインタビューが終わり、お客さんが帰り始めると、フランスの選手がふたたび出てきて手を振りながら場内を一周。
背番号7のシャルル・オリボンがフランス人の観客がいるスタンドに入り、握手に応じていた。

最後には、フランスの選手たちが輪になり、「ウーーーッ!」と吠えながら、頭上でパン! と手を打つ〝勝利の儀式〟。
フランス人のお客さんも合わせて手をたたき、今後の健闘を祈っていた。

ラグビー観戦は14〜15年ぶり、W杯は初めてだったので、見るもの聞くもの、すべてがとにかく新鮮。
試合終了後、会場の外で待ち構えていたボランティアの方々が、お客さんたちに「ありがとうございました」と声をかけながらハイタッチをしている姿にも心温まるものがありました。

試合終了後、ふたたび出てきたフランス選手たち。その背後にはアルゼンチンの選手も。
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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