原爆資料館へ行く

子供を守ろうとした親ともども黒焦げになった被爆者親子の遺体を描いた10枚の絵

きのうは今年4月25日にリニューアルされた原爆資料館(正式名称:平和記念資料館)に行ってきました。
週末とあり、開館1時間後の朝9時半に行ったら、親子連れや外国人観光客で大変な混雑ぶり。

ここに初めて来たのは父親に連れられてきた小学校低学年のころで、小中高で平和教育が行われるたびに足を運んだ。
火傷を負った被爆者たちの様々な写真、顔にガラスが突き刺さり、指先から皮膚を垂らした被爆者の蝋人形などはいまでも忘れられません。

リニューアルされた展示物で印象に残ったのは、入口近くにある原爆の投下前と投下後の空撮映像。
本館に数多く展示されている被爆者の遺品、子供の帽子・ゲートル・学生服、女性が着ていた体操着やワンピースなど。

それぞれに焦げ痕、血糊、黒い雨の痕跡が残っていて、説明文には被爆者の名前、被爆当時の年齢、その前後の状況などが書かれている。
被爆してからしばらくのち、被爆者が当時の凄惨な状況を思い出して描いたという絵の数々も印象深かった。

絵はリニューアル前に配置されていたものも多く、昔も見た「性別もわからぬまま親子で黒焦げになっている遺体」もまだ展示されている。
しかし、この同じ親子の遺体を描いた絵が10枚も現存していることは、今回の特別展示で初めて知りました。

会場の要所要所にはモニターも設置されていて、米軍・岩波映画・NHKなどが協力した動画が見られる。
ビデオコーナーの被爆者たちのインタビュー動画まで見て回ると、たっぷり3時間以上かかりました。

そうした展示物を大勢の人たちが熱心に見入っている光景は、まだまだ原爆の惨禍が風化していないことを感じさせます。
昔は、外国人の3世代親子連れが見学している姿なんて滅多に見られなかった。

そういう意味では、この資料館の発信力は、ぼくが子供だったころよりも強くなっているのかもしれない。
あるいは、最近の不穏な国際情勢を反映した現象のひとつなのか。

資料館本館の窓から見た原爆死没者慰霊碑と原爆ドーム
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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