自転車と交通事故

右回りループの序盤。このあたりではまだ汗もかいてません。

土曜は毎週恒例、〝跳んでS玉〟のH市でマウンテンバイク遊び。
今年は非常にいいペースで走れていて、きょうで早くも10回目である。

しかし、そのH市へ向かう前、南池袋で背筋の伸びる思いをした。
きのう、巻き添えになった母子2人が死亡、通行人など8人が怪我をした交通事故の現場を通りかかったのだ。

乗用車が暴走した交差点は、ぼくがしょっちゅう自転車で走っているところ。
マウンテンバイクでは池袋駅へ向かう途中、ロードバイクでは荒川河川敷に出るまでの通り道なので、必ずここを通過する。

そういうところで、実に痛ましい、残念な事故が発生してしまった。
母子が亡くなった現場に近い歩道には、たくさんの花や娘さんが好きだったらしいおもちゃなどが供えられ、手を合わせている人、その周囲でテレビやマイクを抱えているテレビ局のスタッフがいた。

その光景を見ていて、昔、自分の目で見た交通事故の現場を思い出した。
確か2002年か03年、巨人の宮崎キャンプを取材し終えた帰り途、プジョーのクロスバイクで宮崎市内の宿舎へ向かっている最中、家電量販店の前で乗用車と中学生の乗った自転車がぶつかったのだ。

乗用車が家電量販店の駐車場から県道へ出ようとしたところへ、右側から直進してきたトラックが衝突。
その衝撃でスピンした乗用車に、県道の歩道を走ってきた自転車3台が次々に激突した。

先頭の自転車に乗っていた中学生は頭からフロントガラスへ突っ込み、大きく跳ねてから路面にたたきつけられた。
これ以上の詳述は避けるが、あれほど間近に、あれほど凄惨な交通事故の現場を見たのは、後にも先にも、あのとき一度きりである。

そう言う自分も、2011年にはマウンテンバイクで肋骨5本、鎖骨1本を骨折する自損事故を起こした。
このときは一緒に走っていた仲間たちに大変な心配と面倒な思いをさせ、当然のことながら仕事の関係者にも多大な迷惑をかけた。

自転車遊びで大事なのは、怪我をしないこと、事故を起こさないこと、人に迷惑をかけないことである。
なお、きょうは課題のポイントをひとつ克服し、そこそこスピードも出て、まずまずのライディングでした。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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