広島に来てショーケンを想う

今年の電光掲示板はスタジアム開業10年目にしてリニューアルされました。広告もいっぱい。

このBlogは広島-巨人戦の試合前、懸命に眠気をこらえながら、マツダスタジアムの記者席で書いている。
今年のプロ野球開幕直前は、いつになく縁のあった方々の訃報が相次いだなあ、と思いながら。

センバツの取材で大阪に滞在していたおととい、巨人のヘッドコーチ、横浜とロッテの監督を歴任した近藤昭仁さんが他界。
駆け出しの野球記者だったころにお世話になっただけでなく、ほんの数年前まで顔を合わせるたびに声をかけてもらった。

きのうは帰京する新幹線の車中で近藤さんの追悼原稿を執筆。
帰宅後にこれを送り終え、軽く寝酒を飲んで休もうとしていた直前、マスコミの知り合いから相次いで電話やメールが届いた。

「ショーケンが亡くなったそうです」
「赤坂さん、何か聞いていませんか」

あの萩原健一さんが…と、すぐには信じられなかったが、8年前から闘病中だったと聞いて、思い当たる節がないでもなかった。
自叙伝『ショーケン』(講談社)の執筆をお手伝いしてからしばらくお付き合いが続いていたころ、萩原さんはしきりに「寿命」と「健康」についてもらしていたから。

そんなことを考えていると、当時の萩原さんの言葉や表情が次々と脳裡をよぎる。
100時間に及んだインタビューの音源や文字起こしはまだどこかにあるはずだから、久しぶりに引っ張り出してみようか、という誘惑に駆られたほど。

おかげで昨夜はまんじりともせず、今朝は6時過ぎ、目覚まし時計にたたき起こされるようにして起床。
8時からのラジオ出演を終えたあと、JAL便で広島へ。

開幕戦で一番の注目カードとあって、記者席もグラウンドも報道陣でいっぱい。
カープの人たちにも挨拶するのがせいぜいで、とても詳しく話を聞いているどころではない。

…というより、このところの寝不足と疲労で、仕事をする意欲が湧いてこない。
どこかでしっかり休まないとなあ、もう56歳なんだもんな。

…と、ここまで書いて、ふと思い出した。
ぼくが初めて萩原さんに会ったのは2006年の秋、彼がちょうど56歳のときだった。

あのころ、自叙伝をどんな一言で締め括ったらカッコイイか、あれこれ話し合っているとき、不意に萩原さんが言った。

「おれの人生、まだ半分だからさ」

萩原さんは100歳以上生きるつもりだったのか。
謹んでご冥福をお祈りします。

なお、試合は5-0でカープが快勝。
私が心配していた大瀬良は八回まで零封の堂々たる投球で、敵となった巨人・丸を4打席連続三振に切って落とした。

「対戦するのは初めてだったので、抑えられてよかった」と大瀬良。
一方の丸は「甘い球もあったが捉えきれなかった。切り替えていく」

どちらも淡々とコメントしていました。
では、野球の話は明日!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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