元日本テレビアナウンサー多昌博志さんを悼む

多昌さんの訃報を伝える10日付スポーツ報知の記事

今朝、Yahoo!ニュースで多昌博志さんの訃報に接した時は驚いた。
すぐには現実と思えず、何かの間違いではないか、今の俺は目覚める寸前で、悪い夢でも見ているのではないかと、何度も記事を読み直したほど。

多昌さんと、「さん」付けで名前を書かなければならないことに違和感がある。
僕が1963年2月24日生まれ、多昌さんが同じ63年4月1日生まれのほぼ同い年で、昔から呼び捨てで声を掛け合っていたから。

交友を深めたのは、僕が日刊現代スポーツ編集部の記者となって2年目、巨人の藤田元司第2次監督時代の1年目。
当時の上司が日本テレビの今井伊佐男アナウンサーと親しかったことから、今井さんが可愛がっていた多昌さんとも自然と現場で会話を交わすようになった。

当時、巨人戦の地上波中継は日本テレビのドル箱で、中継アナは大ベテランの小川光明さんが大御所として君臨。
中堅には吉田真一郎さん、山下末則さん、今井さんが一時代を築き、その下に多昌さん、船越雅史さん、村山喜彦さんたちが台頭しつつあった。

船越さんはいわゆる絶叫系、村山さんがクールな語り口を売り物にしている一方で、多昌さんは勝負どころでの叫び声、緊迫した場面での技術や戦術の分析を使い分け、メリハリの利いた実況で聞かせるタイプだった。

しゃべりだけでなく取材にも熱心で、夕刊紙記者だった僕もびっくりするほどの際どい裏ネタもよく知っていた。
選手の面倒見も良く、巨人の若手を食事に誘っては励ましている。

2010年にアナウンサー職を離れてからも、僕とは年賀状やFacebookで個人的交流が続いている。
関連会社日テレイベンツの取締役となった2023年には、久しぶりに巨人のキャンプで再会し、昔話に花を咲かせたものだ。

Facebookへの最後の投稿は、奇しくも63回目の誕生日だった4月1日。
多昌さんは独特のユーモアを交え、こう綴っている。

「63回目の誕生日は、まさかまさかの入院先で迎えました😭
『誕生日を病院で迎えるのは初めて』と思っていましたが、皆さん初めての誕生日はほぼ例外なく病院ですね😅

これが多昌さんのセンスだった。
謹んでお悔やみ申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。2010〜2026年、東京スポーツでコラムや野球記事を連載。 日本文藝家協会会員。Yahoo!ニュース公式コメンテーター。
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