
オリンピックが始まると、ふだんチェックしていない競技でも、やはりテレビ中継に見入ってしまう。
今回のミラノ・コルティナ冬季五輪のように、開幕前に行われたフィギュア団体で、日本人選手が金メダルを狙える活躍をしているとなればなおさらだ。
最近はご無沙汰しているけれど、昔はオリンピアンのインタビュー記事も何度か書いている。
清水宏保(1998長野男子スピードスケート500m金・1000m銅、2002ソルトレークシティ同500m銀)、野口みずき(2004アテネ女子マラソン金)、朝原宣治(2008北京男子4×100mリレー銀)、寺川綾(2012ロンドン女子100m背泳ぎ・400mメドレーリレー銅)らメダリストをはじめ、レスリング、トライアスロン、近代五種の日本代表選手などなど。
表彰台でメダルを首にかけた選手はもちろん、1回戦で涙を呑んだ選手からも様々なドラマや人生模様を聞くことができた。
そういう拙文に、少しは読者の琴線に触れ、心を揺さぶる何かがあり、もっと言うならマスコミ業界で〝商品価値〟あったからこそ、40年近くもこの仕事を続けてこられたのだ、と勝手に思っている。
しかし、そんな人間臭い活字のスポーツ記事は、今や需要が減る一方なのだろうか。
ここ数年感じていた疑問がふたび頭をもたげたのは、冬季五輪開幕前、スポーツジャーナリスト・滝口隆司氏(元毎日新聞論説委員)が自身のnoteに掲載した『ワシントンポストの「五輪取材中止」情報 衰退するスポーツ報道の危機』を読んだ時だった。
記事によると、アメリカの有力紙ワシントン・ポストが1月24日、冬季五輪へ取材団を派遣しないと決定した、とライバル紙のニューヨーク・タイムズが報じた。
その2日後、ワシントン・ポストは方針を変更し、取材団を当初の14人から3分の1以下の4人に絞り込み、改めて冬季五輪の現地に向かわせることにした、という。
しかも、この件を報じたニューヨーク・タイムズ自体がすでに3年前、スポーツ報道部門を廃止。
以降、同紙が買収したスポーツ専門メディア〈ジ・アスレティック〉にスポーツに関する報道をすべて任せているそうだ。
スポーツライターの端くれにとっては、これだけでも十分に衝撃的だったが、さらに驚かされたのが2月4日、ワシントン・ポストが全社員の3分の1、約300人を解雇したというニュースである。
スポーツ面が廃止されたのみならず、ロンドン支局員が1人だけになり、ウクライナで取材中、戦地に放り出されたままクビになった記者もいたというから、スポーツ報道を超えた活字ジャーナリズム全体の危機と言ってもいい。
5日、解雇された記者たちはワシントン・ポストの本社前に集結し、大規模な抗議デモを行った。
他のメディアでは2013年に同紙を買収し、今回の人員削減を断行した経営者ジェフ・ベゾス(Amazon創始者)に対する批判の声が高まっている。
滝口氏がnoteで指摘しているように、この事態、日本にとっても対岸の火事ではない。
私自身、16年間お世話になった東京スポーツとの契約が終了するに当たり、この業界がかつてない窮状に喘いでいることを改めて知らされた。
しかし、自分の来し方を振り返れば、日刊現代を退職した20年前から、活字ジャーナリズムの危機的状況は始まっていたのだ。
こういう時代に何が書けるか、読まれるか、読んでほしい人間の物語は何なのか、今さらながら、毎日のように考え続けている。
