
昨日、デイリー新潮にアップされた川相昌弘氏野球殿堂入りの〝落選〟に関する考察には、賛否両論を含めて様々な御意見をいただきました。
全体のアクセス数こそ驚くほど多くはなかったけれど、なぜ川相氏は殿堂入りに値するほど評価されなかったのか、いや、自分は個人的にこれだけ評価しているのだと、友人知人はもちろん、ファンの方々のヤフコメも含めて、非常に詳しい感想を寄せてくれた。
記事にも書いた通り、僕自身もラストチャンスでの殿堂入りには最後まで少々懐疑的だった。
川相氏の功績は十分殿堂入りに値すると思ってはいても、彼の選手としての最大の特長である犠打の世界記録には、球界やマスコミの識者の間でも以前から評価が二分していたことも確かなので。
そうかと言って、世界記録533個の犠打のうち、480個ぐらいは実際に見ている僕が、川相氏はこれほど難しいバントをこうやって決めたのだ、彼の技術はもとより、自己犠牲の精神は十分に殿堂入りに値するのだ、と声高に訴えるのも何か違うような気がする。
バントは野球に欠かせない戦法ではあっても、ホームランや走者一掃のタイムリーヒットなどに比べれば、野球というゲームの中ではやはり脇役だから。
川相昌弘氏という野球人は、まさに脇役であることを極めたような生き方を貫いて今日の地位を築いている。
巨人戦が常に地上波でテレビ中継されていた時代、最もファンの記憶に残った〝最後の脇役〟と言えるかもしれません。
そんな思いを込めて、若き日の川相氏に取材したころの記憶を懐かしく反芻しながら、自分としては遠慮がちに彼の功績を綴ったつもりです。
これで当分、僕が川相氏やバントについて書く機会はないでしょう。
拙文を読んだ方々が、川相氏の往年の活躍を思い出し、バントにもそれなりの価値があるのだということに、少しでも思いを馳せてもらえれば幸いです。
どうもありがとうございました。
