『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(WOWOW)🤨

Joker: Folie a Deux
138分 2024年 アメリカ=ワーナー・ブラザース PG12

前作『ジョーカー』(2019年)はアメコミのキャラクターをシリアスに実写化した作品群の中で、最高峰と言ってもいい名作だった。
アカデミー主演男優賞を獲得したホアキン・フェニックスの名演は、エンターテインメントの域を超え、現代人の奥底に潜む狂気を掴み出し、観ているこちらの顔面に投げつけてきたように感じられ、圧倒されたことを覚えている。

前作でテレビのトーク番組生放送中に人気司会者のモリー・フランクリン(ロバート・デニーロ)を殺し、格差社会の負け組のヒーローとなったジョーカーはその後、どうなったのか。
本作は正当的後日談なのだが、結論から言うと、ジョーカーを殺し、ジョーカーの物語を終わらせるために作られたような作品である。

本作でのジョーカーは警察に逮捕された後、すっかり毒気を抜かれてさえない中年男アーサー・フレックに戻り、犯罪者専門のアーカム州立病院で法の裁きを待つ身。
その最中、別の病棟で精神病のリハビリを受けている女性リー(レディー・ガガ)と知り合い、心を通わせるようになる。

観る前はてっきりガガが〝女ジョーカー〟としてフェニックスをタッグを組み、大暴れするかと思っていたのだが、そんなふうには展開せず、ふたりがミュージカルさながらにデュエットするシーンが見せ場となる。
しかし、肝心のストーリーが病院と裁判所に固定されており、前作のようなダイナミックな場面に乏しく、その合間に歌が挟まるものだから、観ているうちに少なからず飽き飽きしてしまった。

ラスト近く、アーサーに別れを告げたリーが歌を歌い始めると、「もう歌はやめろ!」とアーサーがうんざりしたように吐き捨てるところが、何となく観客の気持ちを代弁しているようにも見える。
ジョーカーのメイクも前作とは打って変わって迫力がなく、エンディングもある程度予想がつく上にあまりにも呆気ない。

監督、脚本を手がけたトッド・フィリップスとしては、前作で〝怪物〟としてのカリスマ性を発揮したジョーカーも、しょせんは生身の人間だった、と言いたかったのか。
それじゃ続編を作る意味がないじゃないか、前作1本で終わらせ、ジョーカーはいつまたどこに出現するかわからない、われわれの心に巣食う化け物なのだという余韻を残したほうがよかったんじゃないか、と思うのは俺だけか。

オススメ度C。

A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨  D=ヒマだったら😑

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る