父の勤め先は中国電気保安協会だった💡

カバーがかけられたわが家の電線

きのう、母親への差し入れと昼ご飯の食材を買って帰宅したら、家の前で写真を撮っている作業着姿の人がいた。
聞けば、中国電気保安協会の方で、7月30日に修繕した電線(画像)、及びわが家の通電状態を確認していた、とのこと。

この電線には以前、わが家の前に生えた木の枝がかかっており、何かアクシデントが起こったら停電するのではないか、と一抹の不安を覚えていた。
そこで5月末、市役所の知人Oさんに相談したところ、中国電力ネットワークを紹介していただき、さっそく連絡して現状を説明。

この件を請け負った中電工から連絡があり、すぐにわが家の電線の状態を確認したが、急を要するほどではないので作業は2カ月後になる、との回答だった。
実際に、7月末に枝を外し、カバーをかけてもらって、無事修繕は終了。

ああ、よかった、よかったと胸を撫で下ろし、この件を忘れかけていたら、今度は中電保安協会の人が確認に来られたというわけ。
こういう作業をした場所については、こうして時間を置いてからも安全確認をさせていただいてるんですよ、と話していた協会職員の方は、どこか誇らしげな口調にも聞こえた。

中電保安協会は、僕の父親が生前働いていた最後の勤め先でもあった。
中国電力の安芸津、広島、阿賀、三次、尾道などの変電所や制御所に務めていた父は、定年前に保安協会に転職し、きのうの職員の方と同じような仕事をしていた。

すぐにそう気づかなかったのは、作業着が薄いグレー一色だった父の時代に比べ、現在はブルーとイエローのカラフルな服に変わっていたからだ。
しかし、昔の父も今の職員と同様、あんなふうにハキハキと説明し、自分の仕事に誇りを持って働いていたのだろうな。

東京へ帰る前、ふとそんな思いが頭をよぎった。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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