長嶋さん追悼試合の四方山話⚾️3️⃣

監督としての背番号3が初めて公開された瞬間

東京ドームで行われた長嶋茂雄終身名誉監督追悼試合を観に行ってきました。
どこからも試合原稿の注文はなかったんですが、毎週東スポ『赤ペン!!』で長嶋さんの追悼記事を書いていることもあり、こういう機会に現場で黙祷しようと思って。

試合前は、旧知の巨人関係者やメディア関係者との昔話に花を咲かせた。
こういう時でなければ顔を合わせることのない人も多く、俺みたいなしがない物書きでも、長嶋さんを媒介としてこれだけ多くの人と結びついていたのかと、改めてミスターの存在の大きさを感じる。

球史に残る名場面、子供の頃から何度見たことか

1974年の現役引退セレモニーはやはり試合前にクリアビジョンで流された。
長嶋さんが映像の中であの名セリフ「わが巨人軍は永久に不滅です!」を口にすると、満員のスタンドから拍手が沸き起こった。

プレーボールの前には、松井秀喜氏がセレモニアルピッチに登場。
中畑清氏がサードベースに立ち、堀内恒夫氏がボールをプレートに運んで、阿部慎之助監督が捕手、高橋由伸氏が球審、さらに王貞治氏が左打席、原辰徳氏が右打席に立つという豪華オールスターキャストだった。

せっかくだからと松井氏の囲み取材に参加したら、まだ記者をやっているのかとびっくりされました。
そこまではいいとして、「○○○」と言われたのには参ったなあ。

周りの記者が笑いをかみ殺していたよ。
そのうちどこかでネタにするかもしれないので、この松井氏の一言は伏せておきます。

来たかチョーさん、待ってたドン!(わかるヒト何人いるかな)

なお、巨人の選手たちが全員背番号3のユニフォームを着て戦った試合は、0-3で阪神に完敗。
先発の井上温大が3回3失点でゲームを作れず、打線も村上頌樹に2安打無得点に抑え込まれ、まったくいいところがなかった。

もし長嶋さんが監督だったら、試合後に何とコメントするだろう?
そんなことを思いながら、久しぶりに阿部監督や井上の試合後の囲みにも参加しました。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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