竹原駅が無人駅になっていた🚞

駅舎の前には今も「おかえりなさい」の文字が

6月1日から無人駅となった生まれ故郷の竹原駅を訪ねた。
以前から聞いてはいたのだが、実際にガランとした駅舎の中に立つと、さすがに寂しさを感じないではいられない。

今年の正月までは、自分の記事が掲載された九スポを買うため、この竹原から呉線で広まで行っていた。
昔は駅舎の中にセブンイレブンがあり、市内のコンビニでは大スポしか売っていないのに、ここだけはなぜか九スポを売っていた時期もある。

学生時代には陸路で帰省することも多く、東京へ戻る際には竹原から福山へ行き、そこから新幹線に乗り継いだこともあったなぁ。
まだネットが普及していなかったころ、竹原駅で東京までの切符を買った時、駅員さんに親切にされたことは忘れられない。

無人化した改札
構内に張られた説明文

無人駅となったのは無論、年々進んでいる過疎化、少子高齢化のため。
竹原市の公式ホームページによると、1985年(昭和60年)には36,286人だった竹原市の人口は、2025年(令和7年)6月30日現在、22,231人まで減っている。

このままでいいのか…と言う自分も、かつてはこの平和でこぢんまりした町に飽き足らず、東京へ出て行ったクチ。
ただ、最近はだんだんと、これから先、もっとトシを取れば、老後を過ごすにはいいところではないかなあ、と思えるようになりつつあります。

あっ、それじゃ、高齢化対策にはならんな。
それどころか、高齢化を加速させるようなものだ。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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