帰省中の任務完了🏠🏥🚲

家の前を流れる賀茂川 帰省中はこのあたりをポタリングするのが楽しみのひとつ

今回の帰省期間は4月初旬に5月19~28日に決めていました。
その間、事前に予定していたスケジュールは大体、以下の通り。

19日㈪ 東京から竹原へ移動、及び入院中の母親と面会
20日㈫ 祖父母の法事の準備、及び同上
21日㈬ 法事、及び同上
22日㈭ 原稿の執筆
23日㈮~24日㈯ マツダスタジアムでカープ-ベイスターズ取材
25日㈰~27日㈫ 入院中の母親と面会
28日㈬ 帰京

何度も母親の面会に足を運ぶつもりだったのは、1回の面会時間が15分に限られているため。
これをなるべく厳密に守って帰ろうとすると母親が悲しそうな顔をするし、面会時間が少々延びても文句は言われないんですが、毎日面会するとなると、ある程度は制限時間を守らないと看護師さんたちに申し訳ありませんから。

そうしたら、まったく偶然、帰省した初日の19日㈪、母親の面会に行ったら、近々退院できそうだと、看護師さんに知らされた。
この日の午前中、新たに入所する予定だった施設の相談員さんが病院に来て母親と面談し、容態がいいので、20日㈫朝に施設の会議で母親の受け入れを検討することになっているという。

20日㈫の午後、母親の面会に行ったら、施設の会議で受け入れてくれることが正式に決まったと、ソーシャルワーカーさんに聞かされ、その場で僕自身が施設の担当相談員と電話で打ち合わせ。
退院と入所は26日㈪朝10時と告げられ、これには当然付き添わなきゃいけないので、ここからメチャクチャ忙しくなりました。

21日㈬午前中に法事を終えると、午後1時半に当座必要な母親の衣類や生活必需品持参で施設へ駆けつけ、設備を見学し、介護計画の説明を受け、様々な書類に署名と捺印。
それからまた病院へ行き、母親と面会して今後の予定を言って聞かせると、最近にしては思いのほか呑み込みが早かったのでホッとしました。

22日㈭に書く予定だった雑誌の原稿は、本来の〆切が26日㈪で、当初はその日の午後に間に合わせるつもりでいた。
が、26日㈪は終日、母親の付き添いで潰れるだろうから、何としても22日㈭のうちに完成原稿を書き上げなければならなかった。

マツダスタジアムでの仕事を片づけた翌日の26日㈪、いよいよ母親の引っ越し。
看護師さん、介護士さん、ソーシャルワーカーさんに手を振って見送られ、車椅子に乗り、施設の相談員さんが運転する車で施設へ。

ただ母親が移ればいいわけではなく、病院の主治医から施設の担当医(理事長、施設長兼務)への引き継ぎがあり、僕がその内容をしっかり聞いておく必要がある。
やっと退院できたとはいえ、今年86歳と高齢ですからね。

27日㈫は施設へ個室用のテレビを持って行った。
母親のお気に入りのベーカリーで買ったあんパンを出すと、アップルジュースと一緒に丸々1個完食して「美味しい」とニッコリ。

ああ、よかった。
お母さんの笑顔を見て、やっとここ数日間の苦労(と言っても大したことないけど)が報われたような気になりました。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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