『FAKE』🤗😱

109分 2016年 東風
@渋谷ユーロスペース 2016年6月13日

2014年にゴーストライターがいることを週刊文春に暴露された自称作曲家・佐村河内守氏の姿を描いたドキュメンタリー映画。
オウム真理教の信者たちを取材した『A』(1997年)、『A2』(2001年)で知られるこのジャンルの鬼才・森達也の15年ぶりの新作としても話題を集めている。

16年6月4日に渋谷ユーロスペースで封切られた当時、連日大勢の観客が詰めかけ、「ふつうなら上映30分前に整理番号付き入場券を買っていただければいいんですが、この作品は1時間前の購入をお勧めしています」と受付の女性職員がアナウンスしていたほど。
それだけでは観客が入りきらず、午後1時の回のみ通常のスクリーン1に加えてライブスペースでの上映を追加しており、単館上映作品が1日2スクリーンにかかるという異例の事態となった。

佐村河内氏がその後、どうなっているのか、気にしている人がこんなにも多いとは思わなかった。
それとも、あのゴーストライター事件に、一般大衆の琴線を刺戟するような何かがあったということか。

映画は森監督が佐村河内夫妻の自宅マンションを訪ねる場面から始まる。
薄暗いリビングダイニングで、「ぼくはあなたの怒りではなく哀しみを描きたい。カメラを止めてほしいときは、そう言ってもらえれば必ず止めますから」という森氏の申し出にうなずく佐村河内氏と妻のかおりさん(名前と顔の撮影を許可している)。

佐村河内氏はまず、ゴーストライターを務めた新垣隆氏の主張のうち、「実は全聾ではなく、耳は聞こえていた」という言い分は「まったくのウソだ」と訴える。
妻も「感音性難聴という症状の特殊さがまったく理解されなかったことが悔しい」と口をそろえて主張。

森氏によるインタビューの最中、佐村河内氏は常に妻の手話を見て答えている。
これが佐村河内夫妻の演技ではないことを強調するためか、森氏自身も声を発して「いまのは聞こえましたか?」などと確認を求めたりしている。

そんな佐村河内夫妻の元に、フジテレビから報道特番や年末バラエティー特番への出演依頼が舞い込む。
夫婦そろってテレビ局の担当ディレクターらを自宅に迎え入れ、彼らのオファーの内容をじっくり聞いた佐村河内氏は、報道特番のみ承諾し、バラエティー番組は断った。

その後、佐村河内氏が妻と一緒に見たバラエティー番組には、新垣氏がコメディアンさながらの格好で登場し、司会者やコメンテーターたちとともに散々佐村河内氏を笑い者にしていた。
聾者用の字幕が流れるテレビ画面を、食い入るように見つめる佐村河内氏の横顔が非常に印象的だ。
 
しかし、それでは、佐村河内氏には本当に作曲のできる能力はあったのか、新垣氏を頼らずともあれだけの作品を世に出すことができたのか、肝心の部分はなかなかはっきりと語られない。
そして、映画の終盤、森氏は佐村河内氏に語りかける。

「守さん(撮影を通してお互いを下の名前で呼び合う関係になっている)は本当に音楽が好きなのかよって思うんだよ。
本当に好きなら音楽を作ろうよ。
あなたの中にはいま、(ゴーストライター発覚以来作ってない)音楽が溢れ出そうになっているはずでしょう」

そして、ポスターにも大きく書かれている「衝撃のラスト12分間」に突入してゆく。
正直、胸に迫るものは確かにあった。

大変面白いだけでなく、重厚な感動をもたらすドキュメンタリー映画であることに異論はない。
ただし、では佐村河内守がいかなる人間だったか、知られざる内面やまったく新たな側面が提示されているか。

さらに、観終わったところで、佐村河内という人間の言うことが信用できるようになったか、と問われたら、個人的には答えを留保せざるを得ない。
森監督がどのような感慨を抱いたのかはわかりませんが。

オススメ度A。

A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨  D=ヒマだったら😑

旧サイト:2016年06月13日(月)付Pick-up記事を再録、修正

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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