【きょう1日アップ!】東スポWEB『平成球界裏面史』7

1989年の日本シリーズ第5戦、満塁本塁打を放った原は歓喜の表情で三塁コーチスボックスの近藤ヘッドコーチとハイタッチ
(©︎東京スポーツ新聞社)

WBCの余韻、余熱の冷めやらぬ中、繰り返し語られているのが、決勝ラウンドでの村上宗隆の劇的な復活ぶりである。

開幕後から不振のどん底にあえぎ、4番から5番に下げられながら、準決勝で逆転サヨナラタイムリー。
決勝では特大の同点ソロ本塁打。

そんな「村神様」の勇姿を、2006年第1回大会の準決勝で代打決勝2ランを放った福留孝介、09年第2回大会で優勝を決める2点適時打を打ったイチローと重ね合わせる声も多い。

そこで思い起こされるのが、平成時代における「元祖短期決戦復活弾」。
いまから34年前の平成元年(1989年)、巨人-近鉄の日本シリーズ第5戦で原辰徳・現巨人監督が放った満塁本塁打だ。

この年、三塁から左翼へコンバートされた原は打率2割6分1厘と自己最悪の数字を更新。
25本塁打、74打点もワースト記録の一歩手前と大不振だった。

第1戦から4番として出場した日本シリーズでも調子が上がらず、第2戦で5番、第3、4戦では7番に下げられた。
原はそれでもヒットの1本すら打てないまま、第4戦まで実に18打数ノーヒット。

巨人も近鉄に初戦から3連敗し、第4戦でやっと一矢報いて1勝と、土俵際の苦しい戦いが続いていた。
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スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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