久々の飯能は何だかいろいろありまして🚵‍♂️

右回りループの入口にある奥武蔵マウンテンバイク友の会の看板

あんまりこういうことを明け透けに書くべきではないかもしれないが、最近、自分も親もめっきりトシを取ったし、コロナ禍は終息の兆しも見えないし、ロシアとウクライナの戦争も始まるしで、家でぼんやりネットやテレビをチェックしているだけでも、マジでうつ状態になりそうである。
うつは古巣の会社を辞める前年の2005年に経験しており、退職後も含めて、1年半ほど東京女子医大病院と厚生年金病院(現東京新宿メディカルセンター)の精神神経科に通いました。

あのときは42歳の厄年だったんだよね。
今回もあと2年で61歳と、2度目の厄年を迎えるから、前厄のうちに厄祓いをしておかなきゃな。

それでも、サイクリストの性分なのか、精神的にはウツウツしていても、というか、ウツウツすればするほど、じっと家にこもっていられなくなり、ともかく自転車に乗って、山へ行こう、遠くまで走ろう、と思ってしまう。
おかげで顔は日焼けし、いかにも健康そうに見えるせいか、17年前もいまも、友人知人にはまるで心配も同情もされません。

というわけで、きょうもせっかく暖かくなってきたんだからと、1カ月ぶりに輪行で飯能へ。
久しぶりだったので、いったん自走で池袋駅に向かった直後、輪行袋を忘れたのに気づき、慌てて自宅へUターンしたけれど、いつものように9時池袋発の西武線急行飯能行に乗ることができました。

ところが、元加治駅で愛車を組み立て、さあ行くぞ、と山に入った矢先の10時半ごろ、右回りループの入口で写真(上の画像)を撮ろうとスマホを取り出したら、LINEに東スポのMデスクから拙稿をきょう掲載することになった、と連絡が入っている。
僕は必ずこのホームページのWORKSとSNSに掲載情報をアップしているので、急遽スマホでまずホームページを更新しようとしたら、山の中はアクセス環境が3Gまで下がってしまうため、サーバーに辿り着けない。

仕方なく、いったん下山して4Gのエリアまで戻り、WebとSNSの更新を済ませて山に入り直したのが10時40分ごろ。
きょうは気温も高過ぎず低過ぎず、路面もほとんどパーフェクトと言っていいほど良好で、しっかり楽しむことができました。

ただ、1カ月ブランクがあったからか、これも寄る年波のためか、上りは結構しんどくて、いつもより足つきが多く、場所によっては押さざるを得ず。
ヘロヘロになって2周目を始めたら、eバイク(電動自転車)に乗った女性が軽いペダリングで僕の傍らを通り過ぎ、あっという間に置き去りにされてしまった。

でも、飯能ではまだ、eバイクに頼ろうという気にはなれませんね、僕は。
なお、きょうはこの女性とそのパートナーをはじめ、僕がすれ違っただけでペアが5組、ソロが4人と、暖かくなったためか、平日にもかかわらず、結構マウンテンバイカーが多かった。

だから警戒したのかどうか、2周目の左回りループを走っていたら、立入禁止区域の近くで立正佼成会の人と思しき作業服姿のオジサン(俺より若そうだったけど)に遭遇。
「この先(立入禁止の札が下げられた場所)を上ったりしないでくださいよ、(地面が)崩れて大変なんだから」と言われて、「わかってますよ、こうなってからは一度も上ってませんから」と、ニコヤカに答えておきました。

それやこれやと、せっかくストレス解消のために飯能に来たのに、何だかきょうはいろいろあったなあ。
まあ、最後はいつもより気持ちよく下れたから、よしとするか。

〈祥龍房〉飯能駅北口店の牛肉青菜炒め定食950円

下山後のランチは〈祥龍房〉飯能駅北口店で牛肉青菜炒め定食。
結構ボリュームがあり、これで950円はこの店ならではのコスパの高さでした。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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