BS1スペシャル『よみがえるオードリー・ヘプバーン 顔に魅せられた男 カズ・ヒロ』(NHK-BS1)🤗

100分 NHK 初放送:2020年3月8日午後7時〜

『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』(2017年)でゲイリー・オールドマンをチャーチルに、『スキャンダル』(2019年)でシャーリーズ・セロンを全米一有名な女性キャスターに変身させ、アカデミー賞の「メイクアップ・ヘアスタイリング賞」を2度受賞したカズ・ヒロ(辻一弘)の人間像と創作の核心に迫ったドキュメンタリー。
いま世界中で最も注目されている日本人芸術家だけに、大変興味深く観た。

カズ・ヒロはもともと特殊メイクアップ・アーティストを目指していたが、この7年間は映画界と距離を置き、軸足を現代美術に移して歴史上の偉人や芸術家の顔を巨大化し、シリコンで再現する表現活動に専念。
リンカーン大統領、サルバトール・ダリ、アンディー・ウォーホルなどを経て、10作目となるオードリー・ヘプバーンの顔を作る作業と工程に密着するところから、本作は始まる。

カズ・ヒロはなぜかくも人の顔にこだわるのか。
人の顔とはカズ・ヒロにとって何なのか、彼はこう言っている。

「人生の環境や考え方によって、顔は無意識のうちに作られていく。
ある意味、究極のデザインですよね」

「人生にいろいろと辛いことや苦しいことがあって、それを乗り越えたことが、人の顔に現れる。
だから、そういう顔は美しい、オードリー・ヘプバーンのように」

そういう信念を持つカズ・ヒロに、メイクを依頼したハリウッド・スターたちも絶大な信頼を寄せている。
例えば、カズ・ヒロによってチャーチルに変えられたオールドマン。

「カズは人の顔を見るだけでなく、顔の向こう側にある魂を見ているところが素晴らしい。
私は、カズがメイクアップをしてくれるのならという条件で、この映画のオファーを受けたんだよ」

最も興味深いのは、そんなカズ・ヒロの青春時代を追ったくだり。
京都出身の彼は、野球の強豪校としても知られた平安高校の2年生だったとき、洋書店で見つけた〈ファンゴリア〉というアメリカのホラー専門の映画雑誌を手に取り、この世界の巨匠ディック・スミスの存在を知る。

スミスは『小さな巨人』(1970年)のダスティン・ホフマン、『エクソシスト』(1973年)のリンダ・ブレアなどの特殊メイクを手がけ、すでにレジェンド級の評価が定着していたアーティスト。
〈ファンゴリア〉の特集記事には、スミスがハル・ホルブルックをリンカーン大統領に変貌させる過程が紹介されていた。

この記事と写真に触発されたカズ・ヒロは、独学で特殊メイクを勉強を始めた。
当時、同じようなことをしていた映画オタクなら日本には恐らく山といただろうが、カズ・ヒロは自分の顔をリンカーン大統領に変えるメイクを施し、その写真をスミスの元に送って助言を仰いだのだからすごい。

そうしたら、熱意に打たれたスミスから丁寧な手書きの返事が届き、カズ・ヒロはその後、新たな〝作品〟を作ってはスミスの元へ写真を送るようになった。
スミスもそのたびに返事を寄越し、そのやり取りは合計12回にも及んで、スミスから届いた文面が紹介される。

カズ・ヒロが高校を卒業した1988年、スミスが日本映画の特殊メイクを担当するために来日。
そこへ自らカズ・ヒロをスタッフとして呼び寄せたことが、本格的な特殊メイクアップ・アーティストへの第一歩だった。

伊丹十三監督のホラー映画などでカズ・ヒロと一緒に仕事をしたスミスの弟子エディ・ヤンが、自分のボスであり、スミスの一番弟子でもあるリック・ベイカーにカズ・ヒロを紹介。
1996年、27歳だったカズ・ヒロはアメリカに呼び寄せられ、ベイカーの工房で働くことになり、まず最初に『メン・イン・ブラック』(1997年)の宇宙人のメイクを手掛ける。

いきなりハリウッドの映画製作の最前線へ送り出されたら、まずは本場の流儀ややり方を覚えようとするものだが、ここでもカズ・ヒロは凡百の映画オタクには真似のできない類稀なチャレンジャー精神を発揮。
自分の新しさやオリジナリティーをアピールしなければ生き残っていけないからと、独自の素材や型取りの方法を考案し、喧嘩腰で仕事に取り組んだという。

ヤンによると、カズ・ヒロの完璧主義は度を越しており、次第に誰もが彼と一緒に仕事をすることを恐れるようになった。
「頭髪で隠れる部分にさえ小さな気泡ができていると作り直しを主張するこだわりには私でさえ手を焼いた」と、ベイカーはこう話している。

「カズは何にでも完璧を求めたが、彼にはこの工房のやり方にしたがってもらわなければならなかった。
彼の完璧主義に応えられるスタッフなどいないからです」

様々な映画の特殊メイクを手がけたのち、最初の師匠スミスが80歳の誕生日を迎えた2002年、カズ・ヒロはシリコンでスミスの巨大な胸像を作ってプレゼントするというサプライズを実行。
これを見たスミスが感涙にむせび、「なんて美しいんだ! 私には作れない!」と言ったのを聞いて、カズ・ヒロは映画から現代美術の世界へ転身することを決意したのだった。

このようにカズ・ヒロの歩んだ道程を追っていくと、とんとん拍子のサクセス・ストーリーのようにも見える。
しかし、これほどアートや映画に傾斜する人間の内面には、得てして強烈で抜き難い過去からの逃避願望があるもので、カズ・ヒロも例外ではない。

本作の終盤、カメラはカズ・ヒロが生まれ育った京都・錦市場を再訪した彼の姿を追う。
父親は仕事はしていたけれどもアル中で、毎晩酔っ払って帰ってきては床の上で寝てしまい、休みの日に連れて行かれるのも競馬場ばかりで、いつも車の中にひとりでほったらかしにされたまま。

そうした境遇から5歳で反抗期が始まり、酒とタバコを口につけたものの、「2日でこんなもんはやるもんじゃないと思ってやめた」と苦笑しながらカズ・ヒロは漏らす。
当然のように、カズ・ヒロの中学時代に両親は離婚し、彼は母親の元に引き取られたが、その後も親同士の諍いが延々と続いて、彼はその板挟みになり、非常に辛い思春期を過ごした。

京都ならではの文化や土地柄もあり、カズ・ヒロは幼少期から「大人たちは口に出して言うことと腹の底にある感情がまるで違う」ことを強く意識して育った。
「いま話している人が本当は何を考えているのか、頭の中で何が起こっているのか、心や魂の中で何が動いているのか」という興味が、いま作っている作品へとつながった、と彼は言う。

そう語るカズ・ヒロ自身、特殊メイクの世界に足を踏み入れたばかりの若いころと、芸術家として名声を確立したいまとでは、まったく違った顔になっている。
これは僕の勝手な予想だが、彼は恐らく、近い将来、自分の顔の作品化に着手するのではないだろうか。

オススメ度A。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』、WEDGE Infinity『赤坂英一の野球丸』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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