東京スポーツ『球界平成裏面史15/巨人・ガルベス、審判恫喝暴投事件の巻』

巨人ファンにとって、良くも悪くも忘れられない助っ人が〝カリブの怪人〟バルビーノ・ガルベス 。
現在は母国ドミニカに帰り、メジャーリーガー養成アカデミーを設立、将来のスター選手育成に心血を注いでいるという。

最近、TBS『平成スポーツあったなぁ大賞』(4月7日放送)に出演、久しぶりに日本のファンの前に登場した。
そこで改めて聞かれたのが、平成10(1998)年7月31日、甲子園での阪神戦で審判にボールを投げつけた事件だった。

しかし、ガルベスさんは悪びれもせず、「その質問は間違ってるぞ」。
何を言い出すかと思ったら、「オレは審判じゃなく、ボールボーイにボールを投げ返しただけだ」。

ガルベスの暴挙を伝えるスポーツニッポン:1998年8月1日付1面

うーん、それにしてもこのド迫力、「ボールボーイに投げ返しただけ」には見えないけどなぁ。
というわけで、今回の『球界平成裏面史』はガルベスさんが起こした事件とその余波について、じっくりと振り返ってみました。

詳しくはきょうの東スポ、大スポ、中京スポでお読みください!
朝刊の九スポは明日掲載の予定です!

なお、スポニチの1面に掲載された写真でガルベスの左にいるのは、この年巨人に入団した元大リーガー、内野手のマリアノ・ダンカン。
同じドミニカ出身とあってガルベスとは仲がよく、ガルベスが審判にボールを投げつけた途端、「あ〜、やりよった、えらいこっちゃ〜」と言わんばかりの顔をしております。

ところが、ガルベスの事件から1週間後には、このダンカンもブチ切れた。
8月7日、東京ドームでの中日戦で、試合の終盤に武上打撃コーチから予期せぬ代打を告げられ、空振り三振に終わってベンチに帰ってくるや…。

ダンカンの球団批判を報じた報知新聞:1998年8月9日付1面

ご覧のように、ベンチ裏にあるスイング用の2m×2m大鏡をバットでたたき割ったのです。
理由を聞かれたダンカンは、「ステューピッド・ベースボール!」と4文字言葉を交えて球団批判をぶちまけた。

結局、ダンカンは1年限りで巨人を退団し、二度と戻ってこなかった。
しかし、ガルベスはシーズンオフになると、長嶋監督のたっての要望もあって巨人に残留、翌99年には巨人史上初の「外国人開幕投手」も務めている。

ちなみに、TBSの番組では、「ボールボーイに投げただけ」とうそぶいたあと、「いや、本当は反省してるんだよ」とニヤリ。
最後は事件から12年後にして初めて?「ゴメンナサイ」と日本語で謝罪していました。

ぼく個人は穏やかにピッチング談義を聞かせてもらった思い出もあって、そんなに乱暴でおっかないばかりの人物だったという印象はない。
当時は明るいキャラクターでファンも多く、ナンバーの表紙になったこともあるぐらいなんだから。

Sports Graphic Number:1996年7月11日号

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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