スポーツライターの悩みと現場

試合開始直前のイベントで巨人とロッテのマスコットとチアガールが共演。交流戦ならではの光景ですね。

きょうのTBSラジオ『森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です』の仕事、今年で3年目を迎えながら、いつも終わってからあれこれ考えてしまう。
果たしてあれでよかったのか、ほかにしゃべりようがなかっただろうか、と。

原稿の仕事についても同じことを考えないではないが、書くほうは30年もやっているので、最低限つまんないものを書かない自信だけはあるのですよ。
ともかく、レギュラーの仕事があるからといって、現状にあぐらをかくことなく、日々反省を続けることが長持ちの秘訣。

まあ、もういくら長くやったところで、先の知れている年齢になってきたんだけどさ。
…などと心中でブツクサ言いながら、昼までに原稿を1本書き、午後から巨人-ロッテ戦の行われる東京ドームへ。

スポーツライターの仕事のいいところは、一年中スポーツ全般で何らかの試合が行われていて、足を運べばスポーツ界やマスコミ業界の知り合いや昔馴染みに会えること。
1月のウインタースポーツから2月のプロ野球キャンプ、約半年間に渡るペナントレースに加え、春夏の高校野球、年6場所の大相撲などを経て、11月の日本シリーズや国際試合に至るまで、そういうコミュニケーションを楽しめる現場があることは、精神衛生上まことにありがたい。

きょうも同期で一番出世した(はずの)某スポーツ紙編集局長、別のスポーツ紙で担当最年長(?)を誇るロッテ番記者、同世代で定年を間近に控えたマイペース記者、某放送局のベテランアナウンサー、相変わらず話し始めたら止まらないロッテOB評論家などなど、いろんなおしゃべりを楽しみました。
こういう空間はスポーツ取材の現場以外にはあり得ない。

13年前に務めていた仕事一色の会社とも、共通の趣味を持つ仲間との純粋な遊びの集まりとも違う。
こういう現場がなかったら、基本的には映画&自転車オタクのおれなんか、とっくの昔に「8050問題」の50代の引きこもりになっていたかも…いや、それだけはないか。

なお、試合はロッテが先制したものの、巨人2年目の若林がプロ初本塁打の2ランで同点に追いつき、4番・岡本のタイムリーヒットで逆転。
さらに大城の適時打で4点目を追加し、4-3で巨人が逃げ切りました。

試合後、原監督は「インコースの難しい球をよく打った」と若林を絶賛。
当の若林は「どんな球か覚えていません。この1球で決めようと、無心で打ったので」と初々しいコメント。

今朝はTBSラジオで首位のカープを持ち上げたんだけど、そのカープはソフトバンクに負け、2位の巨人に2.5ゲーム差と詰め寄られた。
いかん、これも反省…するのは、くたびれたからもう明日にしよう。


スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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