170球目のサヨナラエラー

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相変わらず甲子園は寒い。
このトシ(56歳)になると、浜風の吹きすさぶネット裏の記者席に腰を据え、シコシコとスコアをつけながら観戦するのは1試合が限界である。

きょうのその1試合は盛岡大付(岩手)-石岡一(茨城)。
これがまさに「ザ・甲子園」、「ザ・高校野球」と言いたくなるようなゲームだった。

甲子園常連校の強豪・盛付を相手に、創部105年目にして21世紀枠で出場した石岡一が大健闘。
石岡一が2点をリードして迎えた九回裏、ここまでひとりで力投してきたエース・岩本大地くんが、2死二、三塁とピンチを招きながらも、あと1人、あとストライク1つと迫った。

しかし、スライダーを2球続けてカウント1-2と追い込んだ直後、満を持して投げ込んだ内角への真っ直ぐを狙い打たれ、これが2点タイムリー。
試合は土壇場で延長戦に突入した。

正直なところ、ここまではよく見た展開、よくあるパターンだった。
そして、同点で迎えた延長十一回裏、石岡一の岩本くんが1死満塁のピンチで盛付の次打者を投ゴロに打ち取る。

これを岩本くんが捕手に送球し、まずは本塁でフォースアウト。
…と思われた次の瞬間、白球はワイルドピッチのように大きく一塁側へ逸れ、フェンスまで転がっていった。

すかさず盛付の三塁走者が生還し、石岡一がサヨナラ負け。
その投ゴロは、岩本が投げた170球目のボールが打ち返されたものだった。

これは切ない。
岩本くんにとってはあまりに酷な結果。

それでも試合後、岩本くんは監督の隣に立ち、どっと押し寄せた報道陣にも怯むことなく、冷静に対応していました。
ぼくは周囲の記者に押され、小さな声で訥々としゃべる岩本くんの目の前へ。

せっかくだからいくつか質問をして、彼の答えをメモに取った。
こういう試合は恐らく、一生忘れない。

たとえ忘れていても、何かの折に何度でも思い出し、まあ、ちょっと聞いてくれよ、と野球好きの友人に話して聞かせることだろう。
これも、「ザ・甲子園取材」、「ザ・高校野球取材」なのかな。





スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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