『別離』(WOWOW)

جدایی نادر از سیمین

 イランの名匠アスガル・ファルハーディー監督作品で、第84回米アカデミー外国映画賞、第61回ベルリン国際映画祭で金熊賞、女優と男優の銀熊賞と主要3部門を受賞した傑作。
 家庭の崩壊、親子や夫婦の断絶、さらにそうした問題を抱える市民生活に有形無形の影響をもたらす宗教と社会構造の関わりなど、ファルハーディーの追求しているテーマがより明確に打ち出されている。

 開巻、イランの首都テヘランで暮らすナデル(ペイマン・モアディ)とシミン(レイラ・ハタミ)の夫婦が、狭苦しい法廷にふたり並んで離婚訴訟に臨んでいる姿が映し出される。
 夫ナデルは銀行員、妻シミンは学校の教師、11歳になるひとり娘テルメー(サリナ・ファルハーディー=監督アスガルの実の娘)がおり、比較的豊かな中産階級に属していて、生活が困窮しているわけではない。

 しかし、インテリで進歩的な考えを持つシミンは、イランでは女性の社会進出が著しく制限されていることから、娘テルメーの将来のために外国で教育を受けさせたほうがいいと判断し、一家そろって海外へ移住しようとナデルに持ちかけた。
 ところが、認知症の実父(アリ=アスガル・シャーバズィ)を抱えているナデルは、父親をイランに置き去りにするわけにはいかないからとシミンの提案に反対。

 それなら離婚するしかないというシミンに、とりあえずナデルも同意するが、イスラム法の元ではこのような生活上の理由や性格の不一致といった現実的理由による離婚が認められていないのである。
 しかも、テルメーの親権をどちらが所有するかでもシミンとナデルが対立し、収拾がつかなくなっているのだ。

 そうした中、すでに別居状態に入っていることから、父の面倒を見てくれる人間がいないため、ナデルは敬虔なイスラム教信者ラジエー(サレー・バヤト)という妊娠中の女性を家政婦として雇う。
 このラジエーは身重なことに加え、家庭にも問題を抱えており、夫ホッジャト(シャハブ・ホセイニ)が借金をきっかけとした暴力事件を起こして職を失ったため、自分が働いて家族を養わなければならない。

 ナデルと違って貧困層に属する彼女の家は遠く、毎朝5時に起きてナデルの家に通わなければならない上、仕事をしながらまだ幼い自分の娘ソマイェ(キミア・ホセイニ)も連れてきてその面倒まで見るという毎日。
 しかも、夫には逆上癖があり、彼に内緒でこの仕事を続けていることが見ているうちにわかってくる。

 ナデルの父の介護には当然、下の世話も含まれるが、イスラム法の元では既婚女性が夫以外の男性の肌に接することが禁じられているため、いちいち携帯電話で聖職者に連絡し、許可を求める必要がある。
 ラジエーが過酷な労働とあまりのストレスに給料の値上げを要求しても、ナデルは聞き入れようとしない。

 そんなある日、ナデルの父に取り付けられていた酸素吸入器をソマイェがいたずらし、父が瀕死の状態に追い込まれる、という事態が起こる。
 ラジエーが神経をすり減らしている中、今度は父が裸足のまま徘徊し、近所の新聞売り場へ向かっていった。

 ここでカットが切り替わり、ナデルが家に戻ってくると、ラジエーとソマイェの姿がなく、父が酸素マスクを外され、ベッドに縛り付けられて意識を失っていた。
 そこへ外出先(どこへ行っていたかはのちに明らかにされる)から戻ってきたラジエーにナデルが食ってかかり、「出て行け! 二度と顔を出すな!」と声を荒らげ、玄関のドアから外へ突き飛ばしてしまう。

 この直後、階段から転落したラジエーは流産してしまい、これを知った夫のホッジャドが激怒、離婚訴訟中のナデルを殺人罪で訴えるという事件に発展する。
 イスラム法は妊娠4カ月半以上の胎児を「人間」と認めており、暴力によって流産させたら殺人罪が適用されるのだ。

 ナデルはラジエーが妊娠中とは知らなかった、だから胎児を殺そうとしたわけではないと主張し、離婚訴訟中のシミンも夫の援護に回るが、寡黙なひとり娘テルメーはそんなナデルの態度に疑いの眼差しを向ける。
 激高したホッジャドはテルメーの学校にまで押しかけるようになり、テルメーのためにも事を穏便にすませるほかに選択肢はないと考えたシミンは、ホッジャドとラジエーに高額な慰謝料を払って示談に持ち込もうとする。

 ナデルとシミン、ホッジャドとラジエーの夫婦二組が差し向かいになり、どうにか話し合いが円満に決着しようとしていた矢先、しかし、ここでまた新たな真相(嘘)が発覚する。
 それぞれの登場人物の行動には、突飛に見えても納得できるだけの理由があり、様々な宗教上の制約、社会的なしがらみによって抜き差しならない立場に追い込まれてゆく。

 この息詰まるような過程にはまったく遊びがなく、最後まで目を離すことができない。
 見る者に結論を預けるファルハーディー流のエンディングも余韻たっぷり。

 緻密に練り上げられた脚本は、イラン映画にしては珍しく米アカデミー脚本賞にもノミネートされた。
 個人的には、私が初めて見た『彼女が消えた浜辺』(2009年)、昨年世界的に好評を博した『セールスマン』(2016年)をしのぐファルハーディー作品のベストと評価したい。

 オススメ度A。

(2011年 イラン 123分)

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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